「日の丸」「君が代」に関する戦後年表
1945年 |
日本、ポツダム宣言受諾。 |
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連合国軍総司令部(GHQ)、「日の丸」掲揚を許可制に。 |
1946年 |
国民学校令施行規則から「君が代」合唱の部分が削除される。 |
1947年 |
文部省、学習指導要領一般編(試案)発行。 |
1950年 |
天野貞祐文相「祝日には学校や家庭で日の丸掲揚、君が代斉唱することが望ましい」との談話。 |
1958年 |
学習指導要領が「告示」として官報に登載。「学校行事」の具体的内容について言及し、「儀式など行う場合には国旗を掲揚し、君が代を斉唱することが望ましい」とする。 |
1966年 |
「建国記念の日」制定。政令でかつての「紀元節」を祝日化。 |
1978年 |
学習指導要領改訂。「君が代を斉唱することが望ましい」→「国歌を斉唱することが望ましい」。 |
1979年 |
元号法制定。 |
1985年 |
文部省、公立学校の「日の丸」「君が代」の掲揚・斉唱状況を全国調査。 |
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文部省、全都道府県・政令市の教育委員会に対し、「入学式及び卒業式において、国旗の掲揚や国歌の斉唱を行わない学校があるので、その適切な取り扱いについて徹底すること」を通知。 |
1987年 |
臨時教育審議会、最終答申(第4次)で「日本人として、国を愛する心を持つとともに…国旗・国歌のもつ意味を理解し尊重する心を養うことが重要」となると答申。 |
1989年 |
学習指導要領、入学式・卒業式での掲揚・斉唱を義務付け。 |
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「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」。 |
1994年 |
日本社会党の村山富市首相が、「日の丸が国旗、君が代が国歌」と国会答弁(学校現場への強制には反対)。 |
1999年 |
広島県立世羅高校で校長が自殺。 |
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国旗国歌法が成立(*) |
2006年 |
教育基本法改正 |
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第2条「教育の目標」の一つに、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」が入る。 |
*国旗及び国歌に関する法律(平成十一年八月十三日法律第百二十七号)
(国旗)
第一条 国旗は、日章旗とする。
二 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
(国歌)
第二条 国歌は、君が代とする。
二 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。
附則
(施行期日)
一 この法律は、公布の日から施行する。
(商船規則の廃止)
二 商船規則(明治三年太政官布告第五七号)は、廃止する。
(日章旗の制式の特例)
三 日章旗の制式については、当分の間、別記第一の規定にかかわらず、寸法の割合について縦を横の十分の七とし、かつ、日章の中心の位置について旗の中心から旗竿側に横の長さの百分の一偏した位置とすることができる。
別記第一
(第一条関係)
日章旗の制式
一 寸法の割合及び日章の位置
縦 横の三分の二
日章
直径 縦の五分の三
中心 旗の中心
二 彩色
地 白色
日章 紅色
別記第二
(第二条関係)
君が代の歌詞及び楽曲
一 歌詞
君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで
二 楽曲